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東京高等裁判所 昭和24年(ネ)226号 判決

控訴人は「原判決を取消す。被控訴人が昭和二十三年十二月二十四日控訴人に対してなした昭和二十三年産米供出個人割当通知は之を取消す。訴訟費用は第一、二審を通じて被控訴人の負担とする。」旨の判決を求め、被控訴代理人は主文第一項同旨の判決を求めた。

当事者双方の陳述した主張の要旨は、左記の外は、原判決の事実摘示と同一であるから、ここに引用する。

控訴人は、請求の趣旨記載の産米供出個人割当通知の取消を求めるのは、左記の六つの原因のみに基くもので、それ以外の主張はなさないと述べた。

(一)被控訴人は昭和二十三年十二月十九日附(同月二十四日到達)で突如としで控訴人に対し、同年度産米二十俵(三貫六百匁)の供出割当を決定したから、同月三十日までに完納されたいと、通知してきたが、右通知は食糧管理法施行規則(以下食管法規則と略称する)第一条に基いてなされたものであるが、同法条は昭和二十三年十二月十八日農林省令第一一五号を以て改正削除され、その効力を失つたものであるから、同条に基いてなされた右供出割当は失当である。

(二)被控訴人は、吉田村の一般農民に対しては昭和二十三年五月初旬に、同年度の米の生産数量及び供出数量を割当通知したのに、控訴人のみには、(一)記載のように同年十二月二十四日に至つて初めて通知してきたのであるから、右通知は、控訴人のみを不平等に取扱つたものであり、この点からして失当である。

(三)控訴人は昭和二十三年度は約五反九畝歩の自作地について米穀生産事業に従事しているものなのに、被控訴人は訴外瀬畑仙吉が不法に占拠して耕作し、控訴人が全然耕作していない吉田村河原田五百七番田五畝十二歩をも、控訴人が耕作しているものとして、これを含めて六反五畝二十歩について供出割当の決定をなしたものであるから、上記供出割当は、この点からしても失当である。

(四)控訴人が約五反九畝歩の自作地から昭和二十三年度に収穫した総数量は約七俵半にしか過ぎない。控訴人の飯用保有数量は九俵(三石六斗)であり、右生産数量を超過している。従つて被控訴人のなした控訴人に対する供出数量の割当は、食管法規則第三条の二の法意に牴触するから、違法である。

(五)栃木県知事が吉田村に対して指示した昭和二十三年度の産米供出割当数量は六千五百八十二石であるが、被控訴人が控訴人を除いた吉田村の生産者に対して割当てた供出数量の総計は右六千五百八十二石であるから、被控訴人としては控訴人に割当てるべき供出数量を有しないわけである。この点からして、控訴人に対する供出割当は失当である。

(六)栃木県知事は昭和二十三年度の供出割当は、食管法規則第一条、栃木県昭和二十三年産米及び甘庶供出実施要綱と臨時主要食糧生産供出確保措置法案第五条第一、二項に従つてなすべき旨を各市町村長に対し指示し、被控訴人も右指示に従つて各生産者に対して産米作付面積その他についての意見を徴した上、農業計画を定めて公表し、異議期間を経過した上農業計画を指示したのであるが、控訴人一人に対しては、右のようななんの処置をも講じないで、上記のように、同年十二月十九日附で突如として控訴人に対し供出割当の通知をなしたものであるから、右決定は全く法規の定めた要件をなにも充たしていないものであるから、この点からしても取消さるべきものである。

なお、本件訴訟については、被控訴人は村議会の議決を経る必要があるのにかかわらず、その議決を経ていないから、これを看過してなした原判決は、この点のみからして取消さるべきものである。

被控訴人主張の行政事件訴訟特例法第十一条に関する主張は争う。

被控訴代理人は、控訴人主張のような昭和二十三年度の控訴人に対する供出割当決定が、同年十二月十九日附でなされ、同月三十日までに完納されたい旨と共に同月二十四日控訴人に通知されたことは認め、更に控訴人主張の(一)ないし(六)の理由に対して左記のように述べた。

(一)の事実は認めるが、昭和二十三年度の供出割当については、後記(六)に詳述するように、食管法規則第一条の適用があつたものであるから、控訴人に対する割当通知は違法ではない。(二)の事実は認めるが、後記(六)の事実によるように、割当通知は違法ではない。(三)の事実中、控訴人が六反五畝二十歩を耕作しているものとして、被控訴人が供出割当をしたことは認めるが、その余の控訴人主張の事実は否認する。仮に控訴人主張のとおりとするも、その部分の数量は僅か一俵にすぎないから、それがために、全部の供出割当が取消さるべきものではない。(四)の事実は争う。(五)の事実中栃木県知事が吉田村に対して指示した昭和二十三年度産米供出割当数量が六千五百八十二石であることは認めるが、その余の控訴人主張の事実は否認する。(六)昭和二十三年度の産米及び甘藷の供出について、供出実施要綱によつて耕地調査の結果を最も重要な資料として用いるよう指示されていたことは認める。吉田村では耕地の調査については栃木県耕地調査実施要領によつて、部落毎に一名の調査責任者を置いて、調査責任者が耕作者から調査表を提出させて耕作者と協議した上調査したが、控訴人はその本来属している絹板部落からは部落抜きとなつていたので、同部落の調査員は、控訴人に対しては耕地の調査表も提出させなかつたし又協議もしていなかつたのである。被控訴人は右のような事情を十分考慮して控訴人に対して供出割当で決定するに際しては、農業調査委員会が自ら耕地その他について調査をとげ、控訴人が熟練した農業者でないことをも考慮して、他の耕作者に比してむしろひかえめに供出割当を決定したものである。さらに控訴人に対する供出割当の決定をなすに至つた経過を詳述すれば左のとおりである。すなわち、被控訴人は昭和二十三年四月二十五日栃木県知事からの昭和二十三年度の産米供出数量を六千五百八十二石と定めた指示に従つて、同年十月二十二日に食糧調査委員会の議決を経て、控訴人の産米の作付反別を六反七畝二十歩と確認し、その地力はその隣地のより一等級落ちるものと認定して、その反収を一石八斗九升四合、保有産米を三石八斗四升、控訴人が政府に売渡すべき数量を、八石九斗七升と定めた。その後作付反別の誤謬を訂正して二畝を減じて六反五畝二十歩とし、供出数量を八石五斗九升と訂正し、さらに同年十一月二十日に栃木県知事から災害減額補正の指示があつたので、農業調整委員会の議決を経て控訴人に対する補正料五斗を差引き、結局供出数量を八石九升と確定して、同年十二月十九日附で同月二十四日控訴人に対しこれを通知し、それと共に村役場掲示場に公示したのである。食管法規則は昭和二十三年十二月十八日農林省令第一一五号で削除されていたが、その附則第二項によれば、「改正前の食管法規則第一条第一項の米麦等で昭和二十三年産のものについては、右改正前の食管法規則第一条の規定はこの省令施行後もなおその効力を有す。」とあるのみならず、控訴人に対し産米の供出数量の割当を決定したのは、上記のように同年十月二十二日であるから、控訴人に対する通知が食管法規則第一条が廃止された後であつても、違法なものではない。

食糧確保臨時措置法(以下食確法と略称する)は昭和二十三年七月二十日に施行されたのであるから、その当時は既に同年度の産米作付の完了後であるから、同法にいう農業計画の指示ということは同年度についてはあり得ないことなのである。そのことは、食管法の改正に対応する食管法規則の改正が同年十二月十八日に行われたことや、上記のように、右規則第一条の規定が昭和二十三年度の産米供出について効力を存したことよりしても明である。昭和二十三年度の産米供出については、食確法施行前同法の前身である臨時主要食糧生産供出確保措置法案の趣旨に準じて、いわゆる事前割当を行つて、生産者の生産意欲の昂揚と供出割当数量の確保とを期すべきであるとの農林省の方針に従い、栃木県知事は「昭和二十三年産米及甘藷供出実施要綱」を定めて、管下各市、町、村長に対しその実施を指示した。右実施要綱の要領は、「市、町、村長は知事から供出割当数量の指示を受けたときは、遅滞なく正規の手続を経て五月五日(後に十日と変更された)迄に、個人割当数量を決定の上、之を各個人に書面で通知すると共に、個人別割当数量、生産見込数量、自家保有量及びその他割当に必要な事項を公示する」というのであつた。被控訴人は昭和二十三年四月二十五日栃木県知事から右要綱の実施と共に供米数量六千五百八十二石との指示を受けたので、同村食糧調査委員会の議決を経て同月二十六日基礎資料作成のため田、畑、地力等級を確定して、同年五月一日部落別反別数量を決定し、同月十日控訴人の属する絹板部落を含む各部落別の作付反別、収穫高、保有数量、及び供米割当数量等を決定して、これを村役場掲示場に公示した。各生産者個人に対する割当は、各部落内の生産者の自治に委せたところ、各部落においてはそれぞれ部落民協議の上、個人別作付反別、収穫高、保有量、供出数量等を決定し、部落協力委員は村長代行として、当該部落掲示場にその結果を公示し、且つ被控訴人にも報告してきた。被控訴人はその決定に基いて食糧調査委員会の議決を経て、個人割当を決定し、各生産者に通知した。しかるに絹板部落では、控訴人と他の部落民とは相容れず控訴人との協議は不能だとして、控訴人に対する割当を被控訴人に返上してきた。被控訴人は控訴人に対する個人割当を直ちになすべき筈であつたところ、農繁期に入つたのでその手続が延引して上記のように同年十月二十二日に至り始めて決定するに至つたものである。右のような経過で控訴人に対して生産供出計画を作付前に指示できなかつたのであるが、これは全く控訴人が部落民と融和しないために生じたやむない結果に過ぎないのである。ことに控訴人以外の生産者に対してなした上記の指示も、食確法第七条第一項にいう農業計画の指示ではなく、供出数量の決定を唯一の目的とした食管法第一条第一項の指示に止まるものである。控訴人に対する処置が多少他の者と異つたのも、結局においては栃木県知事の行政上の指導の趣旨に反したに止まるのであるから、そのために控訴人に対して食管法第一条第二項に基いてなした供出割当通知の効力が左右せらるべきものではない。

被控訴人の敍上の主張がいずれも理由なく、控訴人に対する供出割当通知が取消さるべきかしあるものとするも、下記のような実情にあり右通知を取消すことは公共の福祉に適合しないものであるから、行政事件訴訟特例法第十一条第一項によつて控訴人の本訴請求を棄却されんことを求む。控訴人に対する供出割当は上段で説明したように吉田村及絹板部落の平均(反収二石四斗一升)に比較して軽きに失するのである。元々吉田村は供出制度実施以来成績優良で、栃木県から再三表彰されている。しかるに昭和二十三年度の産米供出は、控訴人の本件訴訟に影響を受けて、供米情況が悪く、殊に絹板部落では未供出者が続出し、昭和二十四年三月二十八日に至つて初めて完了をみたのである。右のような情況であるから、控訴人の本訴請求が是認されるとすれば、純真な農民の思想を悪化させ、供出政策に重大な支障をきたすようになることはまことに明な関係にあるのである。

なお、被控訴人が本件訴訟については村議会の議決を経てないことは認めるが、被告として応訴することについては村議会の議決は不必要であるから、この点に関する控訴人の主張は理由がない。

当事者双方の提出した証拠方法とそれに対する認否は左記のとおりである(各証拠省略)。

三、理  由

地方自治法第九六条第十号によれば、地方公共団体は訴訟の当事者となるについては地方議会の議決を経なければならないと規定しているが、地方公共団体が被告となる場合に地方議会の議決を経ない場合のことを考えると、地方公共団体に対する訴は常に不適法として却下せられるという不都合な結果が生ずるから、民事訴訟法第五十条第一項の規定の趣旨のように、地方自治法第九六条第十号によつて地方議会の議決を必要とするのは、地方公共団体が原告となつて自ら訴訟を提起する場合のことのみで、本件の場合のように被告となつて応訴する場合のことではないと解するのが相当である。故に被告が本訴に応訴するについて吉田村村議会の議決を経てないことは当事者間に争がないが、それがために本訴はなんら不適法なものではなく、原判決もこの点についてはなんら違法なものではないから、この点に関する控訴人の主張は採用することはできない。

被控訴人が昭和二十三年十二月十九日附で控訴人に対し、同年度産米三十俵(三貫六百匁)の供出割当を決定したから、同月三十日までに完納されたいと通知したことは、当事者間に争がない。控訴人は右決定が違法であるから、取消を求めると主張しているから、その点について控訴人主張の取消原因を順次判断する。

(一)  被控訴人のなした右供出割当の決定通知が食管法規則第一条によつてなされたことは当事者間に争がない。控訴人は右法規は昭和二十三年十二月十八日農林省令第一一五号で改正削除されて、その効力を失つたものであると主張するけれども、右農林省令第一一五号で食管法規則は削除されているが、その附則第二項によれば、「改正前の食管法規則第一条第一項の米麦等で昭和二十三年のものについては、右改正前の食管法規則第一条の規定は、この省令施行後もなおその効力を有す。」とあつて、同条は無条件に効力を失つたものではなく、控訴人に対する昭和二十三年の産米供出割当を決定したのは後記認定のように、同年十月二十二日であるから、控訴人に対する通知が同年十二月十八日後になされたとしても、右附則第二項によつて当然有効であるから、この点に関する控訴人の主張は採用することができない。

(二)  控訴人主張の違法原因の(二)及び(六)の要旨は、栃木県知事から昭和二十三年度の供出割当について被控訴人に対し指示があり、被控訴人は他の農民に対してはその指示に従つた処置をとつたのに拘らず、控訴人に対してのみは右指示に従つた処置をなんらとることなく、他の者に対しては同年五月初旬に米の生産数量と供出数量の割当通知をしたのに、控訴人に対してのみは、同年十二月二十四日に至つて初めて通知したのであるから、不法であるというのである。同一原本の存在とその成立について争のない甲第十三号証の一、第二十号証の二、三、各その成立について争のない甲第二十号証の一、乙第一、第二、第七ないし第十号証第十四、第十五号証当審証人藤沼純二の証言(第二回)により各その成立を認め得る乙第十一号証の一、二第十二号証及び原審と当審証人横山定吉、田口彌一郎当審証人甲田午吉、藤沼純二(第一、二回)の各証言、原審での被控訴人の代表者藤沼純二の供述――原審では藤沼純二を本人尋問の形式で尋問しているけれども、その当時控訴人はなんら異議を述べることなく、当審にいたり初めて異議を述べているが、証拠調の違法は取調当時なんら異議を述べなかつたのであるから、責問権の抛棄によつて、そのかしは治癒されたものである――を綜合すれば、下記の事実を認めることができる。すなわち、栃木県知事は、生産意慾の昂揚を図ると共に、供出割当の数量の絶対確保を目的として、昭和二十三年三月県下の各市、町、村長に対し、昭和二十三年産米、麦、甘藷その他の雑穀について事前に生産並に供出割当が実施せられることになつたこととして、これを公平に行うために各農家の耕作面積と作付面積と地力を調査して、各農家の間の供出割当を釣合のとれた公平な割当をなすべき旨を通知して、その方法を具体的に指示した。被控訴人は栃木県知事から吉田村の昭和二十三年の供米数量を六千五百八十二石と指示されたので、同年五月五日までに、個人割当数量を決定し、之を各個人に書面で通知すると共に、個人別割当数量、生産見込数量、自己保有量及びその他割当に必要な事項を公示するために、同村食糧調査委員会の議決を経て、同村の部落別反別数量を決定し、控訴人の属する絹板部落の分も決定し、これを村役場掲示場に公示した。各生産者個人に対する割当は各部落内の生産者の自治に委せたところ、各部落においてそれぞれ部落民協議の上、個人別作付反別、収穫高、保有量、供出数量等を決定し、そのことを被控訴人にも報告した。被控訴人はその決定に基いて食糧調査委員会の議決を経て昭和二十三年五月十日に個人割当を決定し、その当時各生産者に通知した。しかるに、控訴人はその以前から部落民と融和せず本来所属している絹板部落から脱退して絹板部落に移つたが、同部落でも前部落に於けると同様に供出に協力せず又配給などについて苦情を言うことのみが多かつたので、同部落では控訴人との協議は不能だとして、被控訴人に対し控訴人に対する個人割当を被控訴人に於てなされたいと回答した。被控訴人は農繁期に入りその取扱が面倒と考え、控訴人個人に対する供出割当の手続を延引して、同年十月二十二日に至つて、初めて、食糧調査委員会の議決を経て、控訴人の産米作付反別、その地力等をも調査し、控訴人が弁護士で本来の農業でないことを顧慮して、普通の農家よりも負担を軽くする趣旨で控訴人の作付反別を六反七畝二十歩、その反収を一石八斗九升四合、保有産米を三石八斗四升、政府に売渡すべき数量を八石九斗七升と定め、その当時その旨を吉田村役場に公示した。その後作付反別の誤謬を六反五畝二十歩と、供出数量を八石五斗九升と訂正し、更に同年十一月二十日栃木県知事から災害減額補正の指示があつたので、控訴人に対する分も供出数量を八石九升と減額し、同年十二月二十四日その旨控訴人に通知し、それと共に村役場の掲示場に公示した。外に右認定を動かすにたるなんの証拠もない。しかして、食確法は昭和二十三年七月二十日から施行されたのであるが、食管法施行規則が同年十二月十八日に施行されたことを考えれば同法で初めて設けられ、同法と同じく米の供出を定めていた食管法にはなんの規定もなかつた農業計画の指示ということは、法的には昭和二十三年度の産米については適用せられないものと解するのを相当とする。従つて昭和二十三年度の産米の供出については、食糧管理法施行規則第三条第一項が適用せらるべきものであるところ、同条によれば、「都道府県知事は食糧管理法第三条第一項の規定より政府に売り渡すべき米麦等につき、その売渡の時期を定めなければならない」と規定しているのみで、同規則第一条は供出の数量について、「市町村長は生産者が食糧管理法第三条第一項の規定により政府に売り渡すべき米麦等の数量を定め、その数量を遅怠なく、当該米麦等の生産者に通知すると共に、これを公示しなければならない」と規定するだけであり、その生産者への通知と公示の時期については別に定めていないから、控訴人に対する産米の供出割当の通知が上記認定のように昭和二十三年十二月に入つてなされたとしても、その一事のみでは控訴人に対する産米の供出割当はなんら違法なものではない。しかしながら、栃木県知事は上記認定のように農民の生産意慾の昂揚を図ると共に供出割当の数量を絶対に確保することを目的として、各市、町村長に対し事前に生産並に供出の割当を公平に実施すべき旨を命じ、被控訴人も右指示に従い、上記認定のような種々な手続を経て、控訴人を除く他の生産者に対しては、昭和二十三年五月中に個人割当の数量を決定して通知したのに、控訴人に対してのみは同年十二月に通知したことは、それ自体としてはいかにも妥当でない処置と認めざるを得ない。しかしながら、右の事前割当の処置は上記のような目的のための処置とはいえ、法律にはなんらの根拠のないあくまでたんなる行政上の処置に止まるものであることと、控訴人が右の認定のように一人別な取扱を受くるに至つた理由は、上段認定ように供出に協力しないことその他他の部落民と協力融和しなかつたことに最大の原因が存することと、その当時産米の供出ということが、我国にとつて最重要事の一つであつたことなどを考え合せると、被控訴人の上記不妥当な処置のために、被控訴人が控訴人に対してなした産米供出割当の通知が、取消さるべきかしを有するものとは、とうてい認めることができないから、この点に関する控訴人の主張は採用できない。

次に控訴人主張の(三)の理由について判断する。上掲乙第一、第二、第八、及第九号証と原審での被控訴人の指定代表者の供述と当審証人横山定吉の証言によれば、控訴人主張の吉田村河原田五百七番田五畝十二歩を控訴人自身が耕作していたものであることを認め得られないではなく、外に右認定を覆すに足るなんの証拠もないから、この点に関する控訴人の主張も理由がない。

控訴人主張の(四)の理由について判断する。上掲乙第一、第二、第八号証、及び当審証人横山定吉、田口彌一郎、藤沼純二(第一、二回)の各証言によれば、昭和二十三年度における控訴人の収穫は控訴人の主張のように少いものではなく、大体において被控訴人主張のように二十俵を供出しても十分に余裕のある収穫であつたことを窺知することができ、外に右認定を動かすにたるなんの証拠もないから、この点に関する控訴人の主張も採用することができない。

最後に控訴人主張の(五)の理由について判断する。昭和二十三年度の吉田村の産米供出の割当数量が合計六千五百八十二石であることは当事者間に争がない。上掲乙第十五号証によれば、吉田村の産米の供出割当数量の総計が控訴人の主張のような計算にならないことを認めることができ、外に右認定を動かして控訴人主張の事実を認めるにたるなんの証拠もない。故にこの点に関する控訴人の主張も理由がない。

果してそうだとすれば、控訴人の主張は、その他の点について判断するまでもなく理由なく、被控訴人が昭和二十三年十二月二十四日に控訴人に対してなした昭和二十三年産米供出個人割当通知は取消さるべきものではない。故に控訴人の本訴請求を棄却した原判決は結局において相当で、本件控訴は理由がないから、民事訴訟法第三八四条第一項により本件控訴を棄却し、控訴審での訴訟費用の負担について同法第九五条、第八九条を適用して、主文のように判決する。

(裁判官 柳川昌勝 村松俊夫 中村匡三)

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